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CSR活動

  
埼玉県・東京都内の各種左官工事・レベリング工事は有限会社忠組!協力会社募集中!
  

有限会社忠組は平将門首塚保存会の会員になっており、東京都文化財である平将門首塚の保存活動を行っています。

また関東一円にある、平将門神社保存活動も行なっております。

壱千七十有余年連綿と受け継がれてきた歴史の中で
人々の信仰をあつめ幾多の伝説を生んだ関東の英雄
平将門

朝廷支配による民衆への謀略・略奪・人権迫害に

民衆の為に朝廷と命をかけて戦った平将門

時は、水の流れのように過ぎ去っても、民衆の苦難を

自らの苦難と受け止め、生命を賭して生きた片を

忘れてはなりません。魂魄という言葉があります。

私たちは死後、魂一曇戸なって天上に浮遊する。

魄一白は骨です、骨となって地下に残る、という意味だそうです。

将門神社に参拝し、古の人の理念を、或は御霊を思い、

中村天風の言葉を借りれば神人冥合して、橋本徹馬の言葉を

借りれば神人一体の自覚を持って、将門公を拝し、衰えた

気力(気枯れ)を祓い明日を生きる鋭気を養ってください。

その鋭気を持って100年に一度といわれる大きな変革の

時を迎える現代の私達も、将門公が胸に秘めた夢と、人々が

将門公に託した夢を偲び古の人々の御霊と心をかわし、

将門公が眼底に焼き付けた不動の星(北辰)を仰ぎながら、素晴らしい関東を、

そして素晴らしい祖国を創り上げるべく、共に決意を新たにする場としての

将門神社を、末永く護り育んでいこうではありませんか。

皆様方の御理解・御支援賜りますようお願い申し上げます。

平将門信仰 神田忠男

神田明神

平将門命

大黒様

恵比寿様

神田神社は、「明神さま」の名で親しまれ、東京の中心である神田、日本橋、秋葉原、大手丸の内、旧神田市場、豊洲魚市場の108町会の氏神様です。

まさかど様は除災厄除の神様で、延慶2年にご奉祀されました。平将門公は承平・天慶年間に武士の先駆け「兵」として、関東の政治改革を図り、命をかけて民衆を守ったお方です。

だいこく様は縁結びの神様で、天平2年にご鎮座されました。国土開発、殖産、医薬・医療に大きな力を発揮され、国土経営や夫婦和合、縁結びの神様として崇敬されています。

えびす様は商売繁昌、医薬健康、開運招福の神様で、特に商売繁昌の神様として知られています。日本に最初にお生まれになった神様の一人である高皇産霊神のお子様であり、大海の彼方、常世の国よりいらっしゃいました。手のひらに乗るほどの小さなお姿ながら、知恵に優れ、だいこく様とともに日本の国づくりをなされました。

北山稲荷神社

北山稲荷神社

北山稲荷神社

天慶3年 2月14日、新皇を名乗り関東一円を支配下に置いた平将門は、藤原秀郷・平貞盛の軍勢と合戦中に討ち死にした。戦闘中、誰が放ったか分からない矢が額に当たり、彼は命を落としたと伝えられている。彼の最期の地とされるのが北山古戦場である。

また昭和50年にこの場所から発見された一枚の板碑により、この稲荷神社が将門最期の地と考えられた。この板碑には平将門の命日が刻まれており、それを供養したのが長元4年に源頼信であることも記されていた。

国王神社

国王神社

国王神社

國王神社は、平将門公の終焉の地に静かに佇む古社です。將門公の三女である如蔵尼が父の最期の地に庵を建てたことが國王神社の創始であり、父の三十三回忌に当たって刻んだ「寄木造 平将門木像」を御神体として祀っております。

将門神社柏市

将門神社柏市

将門神社柏市

成田街道沿いの日秀地区には、平将門が幼少期に住んでいた伝承があります。将門が戦死した際、その霊が馬に乗って南方から手賀沼を渡り、日秀の台地で朝日を拝んだと言われています。

将門神社岩井

将門神社岩井

将門神社岩井

平将門を祭神とした全国でも珍しい神社で、本殿は1859年の再建で、「放れ駒」や「隻眼の人物像」などの精巧な彫刻が基壇の部分に施されています。

城峰神社

城峰神社

城峰神社

秩父市城峰さんに鎮座する神社です。平将門(弟将平)とその残党が朝延軍に追われ、落ち延び、その残党で築いた城後です。愛妾桔梗姫の裏切りによりこの地で最期を迎えたといわれがあります。この地域では、精梗姫路店説が残り、桔梗の花は咲かないという伝説があります。

奥多摩将門神社

奥多摩将門神社

奥多摩将門神社

奥多摩町棚澤に鎮座する神社です。この将門神社はかって日本武尊が東国本定の際に、須佐之男命と大己貴命を祀神社と伝えられています。その後平良門が亡き父平将門霊を祀られました。御幸姫の像、御幸姫観音があります。この像は将門公が溺愛した妾で一族と共にこの地に移り住みました。